◆ ぶらりヤフー知恵袋の旅で見つけた相談
ある日、俺は
「ぶらりヤフー知恵袋の旅」をしていた。
そして、
卒業を控えた小学生の相談を見つけた。
小学生の悩みはこうだった。
不登校だけど、
親が卒業式に出てほしいというから出ようと思う。でも、
みんなにどう思われるか心配で
日に日に怖くなる。
うむ。( ´-ω・)
小生なら
なんと答えるかな?( • ̀ω•́ )☆
と考えた。
◆ 既存の回答に感じた違和感
他の回答者たちは、
- 「何も思われないから出席した方がいい」
- 「歓迎されるから大丈夫」
という意見ばかりだった。
なるほど、勇気づけている。
しかし、俺はこう思った。
「本当に何も思われないか?」(๑•̆૩•̆)
いや、そんなわけない。
石ころだって視界に入れば認識される。
ましてや不登校の子が卒業式に出る。
珍しがられるのは当然だろう。
さらに
「歓迎される」って、
なぜそう言い切れる?
入院していたわけでもないのに…。( ̄~ ̄)
これではただの
「張りぼての勇気づけ」じゃないか?
少し勘のいい子供なら気づいている。
だからこそ、
わざわざ知恵袋に相談しているんだろう。
そんな勝手な妄想を膨らませて
俺は
「見せてやろう!ニートの浅知恵を」
と心の中で言い放ち、
本気で生乾きの雑巾のように
浅知恵を絞りに絞り出し、
回答した。
◆ 俺の回答
まず、「なぜ不登校だったのか?」
によって変わると思います。
歓迎されるかどうかは一旦置いておいて、
珍しい存在として注目されることは確かです。
実際、
私も中卒で不登校を経験しています。
たまに学校に行くと、
良くも悪くも注目の的でした。
小学校の卒業式には出たけど、
中学の卒業式には出ていません。
不登校だったけど、
時々、学校に顔を出していました。
例えば、
お昼ご飯だけ友達と食べて、すぐ帰ったり。
放課後の掃除だけして
帰るという謎の行動をしていました。
それは、レアキャラクターのように
「たまに出現するパフォーマンス」 を
楽しんでいたからです。
「ビックリさせてやろう!」
ただそれだけのために学校に行っていました。
実際、通知表の担任からのコメントにも
「授業妨害が目立ちます」
とハッキリ書かれていた。
でも私は、
なかなか出没しないキャラの自分が誇らしかった。
もし 「いじめられていて参加したくない」
なら、それもアリ。
でも、「行こうかな」 と思っているなら、
「レアキャラが登場するイベント」 くらいの気持ちで
行ってみてもいいんじゃないでしょうか?
まだ連絡を取る友達がいるなら、
その子と喋ればいいし、
いないならコンビニに行く感覚で
行ってもいいと思う。
ちなみに、
不登校だから不幸せになるわけじゃない。
卒業式に出たから、幸せになれるわけでもない。
- 卒業式に出ていなくても、
幸せに生きている人はいる - 学校に行っていた子が、
ある日不登校になることもある - 大学まで行っているのに、
会社に行けなくなることもある
だから、大事なのは
今の自分の出来事を、
将来笑ってネタとして話せるかどうか
ではないでしょうか?
◆ 本当に悩んでいる相手にかける言葉とは
この回答が、
質問者を勇気づけられたかどうかは
分からない。(´∀`;) へへ…
でも、
「どっちでもいいよ」とか
「大丈夫だよ」みたいな
薄い言葉をかけようとは思わなかった。
なぜなら、
そんなもん言われなくてもわかっとるわ!
案件だから。
しかし、私たちは普段から、
こういう適当な
コミュニケーションを無意識にとりがち。
- 「ダンナがさぁ~」
→ 「マジ? 最悪! 離婚すれば?」 - 「上司がさ~」 →
「お前が悪いよペチャクチャペチャクチャ」 - 「あいつキモくない?」
→ 「だよね~」
こんな感じで。(;´・ω・)
でも、これって
「共感」っていうのでしょうか
◆ 「共感」を理解できない理由
ビジネス界隈でよく言われる
「共感しましょう」(☆`・ω・´)b
「共感する投稿をしましょう」(๑•̀ㅂ•́)و
というアドバイス。
でも、私含め、
多くの人は
言葉がわかるだけで、
ぼんやりしている人も多いんじゃないかな?
それは、
「共感と価値」が リンクしていない状況だから。
- 「共感が価値を生む」 という感覚がない
- だから、自分の発信に価値があると思えない
確かに「同意」も
勇気づけている価値を含んではいるが
そのもう1歩先。
本当に価値のある言葉とは
もう1歩先にある感じがする。
相手が感じていることを
言語化してあげること
だったり、
同意したうえで
一緒に知恵を絞り出して提供する
※否定と肯定とそれ以外の案
相手の緊張を
いかにして和らげるのか
だったりするのではないかな?
知恵袋の質問者は、
「卒業式に出ようと思っているけど怖い」
という悩みを持っていた。
その本質は
「どう思われるかが不安」 ということ。
だから、「何も思われない」
と言われても違和感を覚える。
それよりも、
注目されるのは確かだけど、
それを楽しむ方法もある
と伝えた方が現実味がまして
緊張が和らぎ
自分で考える思考を正常化できる
キッカケにもなるかもしれない。
◆ 「共感」は単なる同意ではない
共感とは、
ただの「うんうん、わかる~」ではない。
相手が本当に
感じていることを言葉にする。
だからこそ、「共感には価値がある」。
そして、発信をするなら
「相手が言語化できていない気持ち」
を言葉にすること。
自分の知恵を相手に会うように
「カスタマイズ」して渡してあげる
それこそが、
「共感する投稿」の本質なんじゃないか?
そう考えた「ヤフー知恵袋の旅」だった。( ̄ー ̄)