AIライティングはズルいのか?効率化の本質を考える

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AIを使ってライティング、ズルくない?(¬¬)

そんな甘くないでしょ?(ಠ_ಠ)

そう思うのであれば、誤解を解かなければいけない。

まず、ズルいと思ってしまうのは
そういった経験をしているからである。

職場でさぼって給料をもらうやつを見てズルいと感じた。→同調圧力

一生懸命働く人ほど価値がある→ 労働至上主義

苦労しないと得たものに価値がない→罪悪感

ツールを使って100万と言う
謳い文句で買った教材で1円も稼げていない→過去の体験

それぞれ、こういった経験から
「ズルい」と言う感情が生まれていると思うのだが、

AIライティングは本当にズルいのかを考えてみようと思う。

 

書くという行為の進化

「書く」という行為は、人類の歴史の中でさまざまな進化をしてきている

最初は地面や壁に絵や記号を刻むことから始まった。

その後、木や石に文字を彫るようになり、やがて紙が発明され、

紙が登場すると、持ち運びができるようになり、記録を残すことが容易になった。

道具も変化。

最初は石や木の枝を使っていたが、やがて

  • 鉛筆
  • ボールペン
  • タイプライター

そしてパソコンへと進化した。

これらの変化の目的は何?

それは「書くことをより簡単にする」

もし「便利な道具を使うのはずるい(╬ಠ益ಠ)」

という考えが正しいのであれば、
俺たちは今でも石に文字を彫り込まなければならない。

「自分で考えないのがずるい(#`皿´)」

では、そこの奥さん。

あなたの作る料理は毎回、オリジナルでしょうか?

クックパットなんか使ってませんよね?

 

では、科学者のあなた!

あなたは、何とか理論や、公式に頼らず
毎回ゼロから新しい理論や公式を生み出していますか?

 

お隣の薬剤師さん!

あなたは毎回
薬を未知の調合をして、処方箋を出していますか?

 

後ろの弁護士さん!

あなたは依頼人を弁護するとき
過去の事例を持ち出さずに、毎回弁護していますか?

つまり人は、日常的に楽をしている。

努力=価値?

オウオウオウ!てめぇー(メ▼Д▼)(メ▼Д▼)(メ▼Д▼)

努力したからこそ、人は成長し、信頼されるんだ!!(#゚Д゚)凸

結果だけじゃない!!(ꐦ°᷄д°᷅)

どれだけ頑張ったかが、価値を決めるんだ!!(╬꒪Д꒪)ノ

 

わかりました。( ˙-˙ )

では、1から家を建ててください。

インパクト?ユンボ?ダンプ?かなづち?釘?

どれも使っちゃだめです。

努力しないと!

まず、斧とハンマーを作って、石を大量に集めます。

そして、
木を切る係と手で穴を掘って基礎を作るとこからです。

現代より時間はかかりますが、努力してますから(´∀`)ニチャァ

きっと満足度も高いし、この家ですか?うん、土地の広さと立地を考えると……

正直、3,280万円がギリですけど・・・。

他の業者より努力して建てたんで5000万で売れますよ( ̄▽ ̄)ニチャァ

 

そんなわけあるかー

誰が、そんなアマゾネスみたいな家、5000万で欲しがるねん!

と中卒の俺でもわかる話である。

 

つまりAIでライティングすると言うことは

AIは多機能な辞書と言う認識だ。

AIを使う中でも考えたり、新たな知識は増える。

この記事で、普段の生活でも無意識に

効率化していることは分かっていただけたと思う。

ただそれだけの話。

目くじらを立てる必要も

疑う必要もないのである。


まとめ:AIライティングはズルいのか?

AIを使ったライティングがズルいかどうか?

道具の進化は人類の歴史 → 使うのが当たり前になる
「楽する=悪」は間違い → 重要なのは「どう使うか?」
AIを使っても考える力は必要 → ただのツールであり、使い方次第

結局のところ、「ズルい」とか「そうじゃない」とか、
そんな議論はどうでもいい。

大事なのは 「結果を出せるか?」 ただそれだけ。

AIを使うことで、もっと早く、もっと良い文章が書けるなら、
それを使わない理由はない。

「ズルい」と言ってる人ほど、気づいたら置いていかれる。

つまり、こういうことだ。

使えるものは使え。
そのほうが、絶対に得をする。

余談

しかし、

「楽する=悪」は実在する!! ドン!!

はぁ?舐めてんのか、ポジショントーク野郎(#`皿´) ゴルァ!!

確かにそう感じたかもしれん。

ポジってすまん。(。•́︿•̀。)

「楽する=悪」は

楽をした結果、質が低下する場合だ。

AIライティングでも「AIに丸投げして、文脈がめちゃくちゃ」なら、それは悪だ。
例えば 山について書いて AIに頼むとする

AI

山は高く、木が生えていて、登ると景色が見える。
昔の人も山に登ったし、今も登る。
山には動物がいて、熊も出るかもしれない。
冬は寒く、夏は涼しいが暑い時もある。
山の上は下より上にあるので登ると高い。

 

こんな記事が出てきた場合は極悪だ。
しかし実際はそうならない。

山が呼んでいる—その頂でしか見えない世界

朝の光が山の稜線をなぞるように昇り、静寂を破るように鳥の声が響く。ふと足を止め、深く息を吸えば、都会では決して味わえない清らかな空気が肺を満たす。山はただの風景ではない。そこには、人を惹きつける不思議な力がある。

なぜ人は山に登るのか?苦しいはずなのに、なぜか足は前へ進む。汗が額を伝い、息が上がるたびに、「あと少し」という言葉が頭をよぎる。そして、最後の一歩を踏み出した瞬間、目の前に広がる景色にすべてが報われる。眼下には雲が流れ、遠くの山々が連なり、世界が広がっていく。

山には、日常のすべてを忘れさせる力がある。忙しない日々に疲れたとき、ふと山のことを思い出してほしい。そこには、ただひたすらにあなたを待つ大地があり、風が吹き抜ける世界がある。登った者だけが知る静寂と感動が、きっとあなたを迎えてくれるだろう。

お前、綾小路 きみまろかよ!

と言うくらいに、ツラツラ、べらべら記事を書いてくれる。

「努力=善」も実在する

おどれぇーコルァァ!!ぶち殺したる( #`Д´)=○)゚3゚)・∵. ぐはぁっ!

そう言いたい気持ち、ワガリマス!(すごく共感するの意)

努力=善は主にこんな場合。

スポーツのトレーニング → 自分の体を鍛えないと意味がない

人間関係の構築 → お粗末だと信用を無くす。

資格試験の勉強 → 自分の知識にならないと意味がない

 

つまり、楽と言う言葉連想される記憶

何にヒモづいているのか?と言う話ですな。 ( ・ω・)

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