「親のスネをかじりたい? でも、親がいなくなったらどうする?」
実はこれ、かつて自分が見下していた考えそのものだった。
特に、働いて自立している側から見れば、
「いつまでも親を頼るなんて無責任」
と思うのは自然な感情かもしれない。
「もし親が急に亡くなったら、その人は路頭に迷うのではないか?」
「最低限、自分の力で生活できないと、結局終わりじゃないのか?」
こうした不安や怒り、あるいは「やる気のない人が楽ばかりしている」という嫉妬混じりの感情が、“スネかじり反対派” の本音にあるように思う。
スネかじり反対派が感じる「不安と怒り」
いざというとき、どうするのか?
スネをかじっている人を見て、まず湧き上がるのが 「将来への不安」 というより、
俺は願望に近かった
- 「親が死んだ後、この人はどうやって生きていくんだろう?」
- 「本当に貯金や保険は大丈夫なのか?」
- 「社会経験が浅いままで、急に放り出されたら対応できるのか?」
と、表面的な心配を装い、スネかじりには惨めと思い込みたかった。
自立して働いている時ほど、「生活はそう甘くない」という実感があったからだ
だからこそ、自立していない人を見ると、「それで本当に大丈夫か?」という見下しがあった。
自分は頑張っているのに、なぜ楽をしている?
一方で、「自分は必死に働いて生活しているのに、親に甘えて楽をしている人を見ると腹が立つ」という 怒り もあるだろう。
- 「こっちは残業続きなのに、あいつは家でゴロゴロ…」
- 「やる気も見せず、親の金で遊んでいるなんて許せない」
- 「いざという時は国や他人に頼るつもりなのか?」
これは、「努力している人が報われず、努力していない人が得をしているように見える」 ときに生まれる嫉妬や不公平感だ。
「スネをかじるなんて甘ったれだ」という感情が、「親が死んだら終わりだぞ」 という断罪になって表面化する。
本当に「親が死んだら終わり」なのか?
経済的自立がないリスク
反対派の視点では、親への依存は経済的リスクが大きい と考える。
- 親が亡くなれば収入源が断たれる
- 相続があっても、維持費や税金で消えるかもしれない
- 社会とのつながりが薄ければ、再就職が難しい
この論拠は確かに正しい一面がある。
しかし、無理に働いて心を壊すリスクもある
一方で、「親が死んだら終わりだから、今すぐ働け」 と無理に追い込まれた結果、
心身を壊してしまう人もいる。
うつ状態や過労で、「自分が終わる」リスク のほうが深刻かもしれない。
実際に鬱の人は1996年の約2倍に増加している。
- 休む暇もなく働き続け、体調を崩す
- 精神的に追い詰められ、社会からドロップアウト
- 一度崩れたら、立ち直るのに何年もかかる
そうなると、親がいようがいまいが、結局「終わり」に近い状態 だといえる。
休むと「終わり」という思い込み
「スネをかじっている限り、親が死んだら終わりじゃないか」
そう考える人が多いのは事実だ。特に、自立して働いている人からすれば、親に頼りきる生き方はリスクだらけに見えるだろう。
だが、そこには一つの思い込みがあるように感じる。
- 「とにかく働き続けないと生活が成り立たない」という思い込み
- 「休む=終わり」という思い込み
本当に、親が死んだらすべて終わってしまうのか。
逆に、無理を続けて自分が壊れたら、それはそれで終わりではないだろうか。
本記事は、「親が死んだら終わり」を否定するというよりも、「いったん休む」という選択肢にこそ、新たな可能性があるのだと伝えたい。
親が死んだら終わる前に、自分が壊れてしまうリスク
疲弊しすぎて、結局自分の人生が終わる
社会に出て、一生懸命働くのは尊いことだ。
しかし、うつになるほど働いたり、過労で身体を壊したりすれば、**「自分の人生そのものが終わりに近づく」**可能性がある。
- 長時間労働で心身がボロボロ
- 休む暇もなく働き続けて燃え尽きる
- 一度うつ状態になると回復に何年もかかる
結局、「親が死んだら終わり」と警鐘を鳴らす前に、自分自身が壊れているかもしれないではないか。
休むことへの罪悪感が危険を招く
日本の風潮として、「休むことは甘えだ」「働いてこそ立派」という考えが根強い。
そこに「親に頼るなんて」と加われば、より休みにくい空気が生まれる。
メディアやSNSでは意図的に煽っているのではないかとも思うほどだ。
- 親に頼ったら、周囲から「スネかじり」と言われるかも
- いったん立ち止まったら、自分がダメな人間だと感じてしまう
しかし、その結果、限界を超えるまで無理をしてしまったら、最悪の場合、本当に人生が終わりかねない。
休むことでなくなる被害
「休むことで救えるものがある」
今、あなたが「狭間」にいると仮定したならば、
その先にあるのは—間違いなく「死」のイメージだろう。
もし、このまま逝ってしまったら、あなたの親はどう思うだろうか?
「よっしゃー!ラッキー!!」なんて喜ぶ親が、果たしてどれほどいるだろうか。
きっと、ほとんどの親は違う。
残された家族は、
- 何年経っても悲しみに沈み、
- ふとした瞬間に涙がこぼれる。
- あの時、こうしてあげればよかった
と、繰り返し後悔する。
──「実家はダサい」
──「ニート乙」
──「生活保護なんて論外」
そんな言葉が、心を追い詰め、「実家には帰れない」というプライドを生んでしまったなら……。
それがなければ、生きている間に抱えなくてもよかった悲しみを、家族は一生背負うことになる。
俺は、「狭間」手前で、考えたからこそ
実家に帰るという決心をした。
いったん休むことで、視野が広がる
「スネをかじる=何もせずダラダラ」ではない
「スネをかじりたい」と言うと、確かにネガティブなイメージがつきまとう。
でも、必ずしも「ずっと親に頼るだけ」ではない。
- 一時的に実家で暮らしながら、心や身体を回復させる
- 親がいるうちに貯金やスキル習得を進める
- 余裕がある間に、新しい働き方を模索する
スネをかじることを、「人生を立て直すためのリセット期間」にすることだって可能だ。
思考が広がると、新しい選択肢が見えてくる
「働くしかない」「親に頼るしかない」
この二者択一で考えると、どちらも行き詰まる。
しかし、いったん休む中で思考を広げれば、他の道も見えてくる。
その結果、月1~3万円稼いで実家に住んでいる。
休むことで、「それまで気づかなかった選択肢」に出会える人は少なくない。
休んだ先にこそ新しい道がある
「親が死んだら終わり」という言葉は、一見もっともらしい指摘に聞こえる。
しかし、実際には、無理を続ければ、自分自身が先に終わってしまうかもしれない。
休む=人生が終わるのではなく、むしろ始まる可能性もある。
- いったん休んで、精神的なゆとりができると、「他の生き方」を考える余裕が生まれる
- 親がいるうちに、実家を活用してスキルアップや体験を重ねるのも一つの手
- 何より、うつ状態や過労で人生を失ってしまうよりは、ずっといい選択かもしれない
確かに、スネをかじるだけの生活を一生続けるのはリスクがある。
でも、「親が死んだら終わりだから、今すぐ働かないとダメだ」というプレッシャーで身動きできなくなるのも危険だ。
まとめ:終わるかどうかは自分次第。休む先に思考の広がりがある
「親が死んだら終わり」というのは、一理ある考え方だ。
けれども、だからといって無理を続けた結果、自分自身が壊れたら、**それこそ本当に“終わり”**になりかねない。
- 休んだ先に、思考が広がる可能性がある
- スネをかじる期間を、単なるダラダラではなく、準備期間に使える
- いざという時に備えつつ、自分の心と身体を守る選択肢も検討していい
最終的に“終わり”を決めるのは、自分自身の行動と気持ちだ。
「スネをかじるからダメ」「親が死んだら終わり」という固定観念を一度外し、
休みながらでもいいから、違う道を模索してみるのは決して悪いことではない。
休むことは、あくまで選択肢の一つ。
そこから先、どう生きるかを考えるきっかけにしてほしいというのが、この記事で伝えたい結論だ。