親のすねをかじりたい男、ここに爆誕。
どうも、管理人こと
底辺ブロガーのペンブローク です。
「大人になったら自立するのが当たり前」
「自分の力で生きていくべき」
そんな世間の常識があるのは重々承知。
でも、私は
親のすねをかじりたい。
できるだけ長く、できる限り深く。
なぜそう思うようになったのか?
そして、
このブログが目指すものとは?
その理念と歩みを、
ここでお話していこうと思います。
ブログの理念
-
- 実家というアドバンテージは存分に活かせ!
- つらい時はダサく生きる!
今の日本はしんどすぎ!
今の日本、
働いても給料は上がらず、
生活費は高騰し、
心をすり減らして生きている人があふれている。
そんな世の中で
「無理にしんどい道を選ぶ理由があるのか?」と問いたい。
このブログでは、
実家というアドバンテージを最大限に活かしたライフスタイル を提案。
いや、怠惰なだけでしょ?と鼻で笑えるなら全然幸せ!
でも、ちょっと共感しちゃうという人は、
つらくなる前に、逃げ道を作っておけ。
を伝えることを理念としている。
では、今から──
俺が社会を転々とし、気づけば「実家が最適解」という真理にたどり着いた
壮大なストーリーをご覧に入れよう。
誕生
4月、俺、爆誕!!同時に末っ子デビューを果たす。
3歳で母子家庭デビュー 末っ子→1人っ子の長男 を新規就任
小学校4年生
最後の学生時代(中学)
3年生、修学旅行後、
ヤンキーでもないのに不登校に。
原因は、
小学校と合わせて
8年間同じクラスと言うだけで好きになった
仲のいい女子に彼氏ができたこと。
掃除などの班行動は
すべて同じ班だったため、現実逃避で不登校に。
当時、SNSで好きになった他府県の人に会いに行くため、
母に頭を下げて旅費を出してもらう。
すでに すねをかじる片鱗 が出ている。
初ロマンスから帰宅後、
「もう一度会いたい」
と号泣し、
母に再び旅費を出してもらう
その後
遠距離恋愛というロマンス が始まる。
※母上には計3度の旅費を出していただいた。
ちなみに号泣した時は
エニエス・ロビー編のニコ・ロビンより泣いた
という自負がある。
16歳、春── 一足先に社会へ特攻す。
義務教育という名の
母艦から離れ、単騎で社会の荒波に突入。
友が進学の道を歩む中、
俺は、戦場へ飛び込んだ。というより
私の機体は、ポンコツで
特攻命令が
出ていないのにも関わらず、
特攻してしまった
と言うべきだろう。
卒業式前に卒業していたため、
卒業式の参加経験は小学校のみ。
見事にマイノリティー派に
属することとなった。
同級生のほとんどが学業に専念する中、
なぜか実家を離れ、
各地方を転々とする仕事 をしていた。
そんな中、
遠距離恋愛中の彼女に会いたくなり、
仕事を放棄して逃亡。
彼女に会いに行こうとしたが、
すでに
彼女には他に好きな人がいることを知る。
泣く泣く職場に帰還。
その半年後、
つらすぎて再び実家逃亡。
しかし、「せめて挨拶くらいはしなさい」
と母になだめられ、退職の意を伝えに職場へ。
そこで待っていたのは、
まさかの5時間正座の説教。
想像をはるかに超えた退職経験を経て、
その後 無事、実家へ1度目の帰還。
──17歳の年だった。
はじめての同棲
帰還後、実家で暮らしながら
数年間、介護の仕事や清掃の仕事を掛け持ち。
二十歳、仕事を変え実家を出る。
しかし、またしても俺は
おかしな方向へと進んでいく…。
何度目をこすっても、
視界に映るのはユニバース(芸人)の原さん
──そんな年上女性と同棲してしまった。
原さんの、
めんどくさいヒスムーブに嫌気がさし破局。
即、別の人と付き合うが、
原にバレて長文のヒス構文のLINEが届く。
しかし、私は
「ごめんね」の一言で終わらせる。
その数日後、
目が覚めたと同時に、人生初の金縛りに遭う。
ピクリとも動かない体。
混乱する頭の中で、
はっきりと 玄関のドアが開く音 がした。
足音が、迷いなく寝室へと向かってくる。
「あ、これマジでヤバいやつだ。」
その瞬間、
パッと意識が切り替わり、目が覚めた。
この一件で、
私は生霊というものを、
ほんの少しだけ信じるようになった。
新たな恋と同時に
清々しい日々を送っていたのだが、
社長が女性社員に鼻の下を伸ばし始め、
明らかに贔屓モード突入。
社長自身の
仕事もどんどん適当になっていく。
見過ごせずに 指摘。
── 年明け、俺はクビになった。
そんなモヤモヤを抱えつつも、
1年後、さらなる悲劇が襲う。
今度は 俺が捨てられる番だった。
彼女からもクビにされた。
原さんは、私を許してはいないようだった。
── 呪いが確定した。
それでも生きていかねばならない。
新しい会社で働き始め、
「正社員にする」と言われ、
昼夜問わずガムシャラに働く。
── しかし、1年後。
その話はなかったことに。
「もう辞めますわ…。」
と言う言葉を残し
気づけば、
俺は 2度目の実家に帰還を果たしていた。
── 呪い継続、確定!
ちなみにこの時期に
ネットビジネスに手を出し、
30万円のコンサルを背伸びして受講。
しかし、当然のごとく失敗。
ブログ、メルマガ、ワードプレス、
SNS、そしてそれに伴うツール…
やることが多すぎてまとまらず、
フリーズしたままコンサル期間が終了。
俺の手元に残ったのは、
30万円の出費と、
呪われたような迷走の記録だった。
初めての一人暮らし
実家暮らしの快適ライフが始まるや否や
叔父からの謎ミッションが発令。
「ヒマなら会社の手伝いしろ。」
そんなわけで、月15日ほど
現場作業に駆り出されることに。
まあ、暇だったし
小遣い稼ぎにはなる…
と思っていた 1年後──
「いつまで会社にいるんだ?職を探せ!」
と、謎のムーブをかまされ転職
次に選んだのは 内装業。
実家でぬくぬくしながら、
彼女もいるという
夢のライフスタイル を満喫しつつ働いていた。
しかし、そこへ
まさかの叔父、再登場──。
「実家への上納金、増額な。嫌なら出ていけ。」
・・・
いや、お前実家住んでないやんけ。
そんな理不尽な決定により、
俺の実家ライフは 強制終了。
アングラ期、開幕。
実家を出たはいいが、収入的にも
もう少し欲しい…
そんなときに
友人から舞い込んだ「おいしい話」。
「これは乗るしかない!」
と飛びついた結果、収入が安定。
そして、2度目の同棲へ突入。
今度のお相手は 多部未華子似の女性。
しかし、幸せもつかの間。
── 破局。
4年も一緒にいたのに、家事スキルがゼロのまま進行。
話し合いをするも、
まるで 「聞いてた?」 と思うほど改善の兆しなし。
「これは…一生このままなのか?」
という危機感により、終了のお知らせ。
俺はこの人を最後に
女性とお付き合いをしていない。
たぶん、実質の童貞だ。
アングラな世界は、まさにクズの巣窟だった。
同僚、上司、客
──全員ハイブランドを身にまとい、
人間性はゼロ。
見栄だけで生き、
気分のいい時は綺麗事をほざき、
機嫌が悪いと手のひら返し。
まさに
資本主義が生んだゴミの集合体を
目の当たりにし、
俺の中でハイブランドへの憎悪が芽生えた。
ちなみに現在も
SNSやYouTubeで、ヴィトン大好きな
女性インフルエンサーやハイブランドまみれの
社長がドヤ顔で自己啓発トークを見てしまうと
助走をつけて
顔面ど真ん中に拳をたたき込み、エンボス加工して
やりたくなる衝動に駆られることがある。
そんな中、ポン中(覚せい剤中毒)の
細客に理不尽な因縁をつけられ、まさかの殺害予告。
即、上司に相談し 「出禁にしてくれ」と申し出る。
── 結果、当然のごとく却下。
「お客様は神様」精神が炸裂し、
俺の身の安全より売上が優先。
週1休み・12時間労働
「責任者」という肩書きを与えられたが、
ただのカスハラ専用サンドバッグ。
そんな生活が続き
気づけば
「睡眠時間6時間が一番幸せ」 という末期状態に。
「最悪、目覚めなくてもいいな…」
と考え始めた時点で、ヤバいと自覚。
このままでは 鬱一直線だと悟り、3度目の帰還を決行。
実家療養と言う名目で 人生初ニートの職に就く
もう俺は頑張らない。
むしろ、本音を言えば
「生活保護をもらって静かに生きたい」 という境地に突入。
それでも 完全なヒモ状態は申し訳ない ので、
貯金の70万円を実家に収め、続・実家ライフを再開。
── そして、初めてのニート生活。
今までできなかった ゲームをピコピコ、ネットをポチポチ。
気づけば、まるで水を得た魚のように、ニートの才能が開花。
この時していたゲームは、
サイバーパンク2077、
ファイナルファンタジー7R、アサシンクリード、ユニコーンオーバーロード、
オクトパストラベラーⅡ etc.ちなみに、リメイクしてほしい作品はFF4だ。
現代クオリティーでエンカウント制コマンドバトル、
魔法演出は派手な感じでお願いします。
「俺、もしかしてニート界のエリートなのでは…?」
そんな確信すら芽生える、
全力脱力ライフの始まりだった。
2年目、密かにさらなるスネかじり計画を企む
しれっと、
このまま2年目もニート継続でいけるのでは…?と
油断していた矢先、
年明け早々に降りかかる衝撃の通達。
── 「来月からお金入れてね。」
これはもう ニートにとっての赤札通知。
しかし、俺は実家にコミット
── 「1歩も出ずに、スネをかじるための資金を稼ぐ」
ネットをあさりにあさりまくった末、
ついに見つけた ちょうどいい副業。
それが AIとの出会いだった。
まるで友達ができた瞬間のような感動。
知らない情報を教えてくれる。
コンテンツの相談もできる。
「あれ? 俺、一人で考えなくてもよくね?」
そんな安心感に包まれながら、
AIを使ったライティングを開始。
別に大金はいらない。
ちょっと実家にお布施を納められればそれでいい。
そんなゆるい気持ちで始めた。
AIは想像以上に継続しやすい神ツールだった。
そして現在──
俺は AIにライティングを
手伝ってもらいながらしながら
まさかのブログまで始めてしまっている。
教訓
これが、私の
底辺ロードマップです。(‘∀’)
またブログを
やってみようと思ったのは、
ヒマだったのと、
何か役に立てるのではないか。
と思ったからです。
こんな失敗を客観的に見て
失敗を防いでほしいからです。
はっきり言って、
こんな人生になるなんて
思っていませんでした。
なるつもりもありませんでした。
小学校卒業前の夢は、
「結婚して、幸せな家庭を作る」だった。
── でも、現実は違った。
気づけば、私は
「自分がバカにしてた人生そのもの」
になっていました。
他人事だったはずの人生が、
自分ごとになってしまった。
5時間の正座説教されてた時は見返す気満々だった。
でもどこから
世の中って、
こんなにしんどいんだ。と気づいて
精神だって、
ずっと安定している保証なんてない。
と気づいてしまいました。
うすうす気づいてる人もいると思います。
要するに
── 私みたいになる前に、準備しとけ。
ヤバいと思ったら、スネかじってでも休む。
生活保護でも、何でもいいからとにかく休む。
そのことを伝えたくて
ブログをはじめました。
ブログって、ほんと不慣れで、
めんどくさくて、考える事が多いですけど
何とか頑張って、
いろいろ書いていきます。